介護の現場におけるヒヤリハットとは、介護中にあやうく事故につながりそうな危ない場面であり、「ヒヤリ!」や「ハッ!」とした状況のことです。介護の現場にいる方ならば、誰でも一度はそんな場面に遭遇したことがあるのではないでしょうか。
本記事では、介護の現場でよく見られる「ヒヤリハット」の事例や対策について説明し、介護事故を防ぐためのヒヤリハット報告書を書くコツについても詳しく紹介します。
目次
介護現場におけるヒヤリハットとは
ヒヤリハットとは、事故には至らなかったものの「ヒヤリ!」や「ハッ!」とした経験のことを指します。ヒヤリハットは実際に何も被害が出ないのでつい見過ごされがちですが、このような危ない出来事が放置され、積み重なっていくことが大きな介護事故につながるのです。
これを法則として提唱したのが統計分析の専門家であるハーバード・ウィリアム・ハインリッヒで、俗にいう「ハインリッヒの法則」とは、「1件の重大な事故の背後には29の軽微な事故があり、さらにその背景に300のヒヤリハットが存在する」というものです。逆にいえば、ヒヤリハットを減らすことが、重大な事故の発生を減らすことにつながります。
そのためにはヒヤリハット報告書で事例を共有し、改善策を講じていくことが重要です。一つひとつは小さなことであっても、危険のタネを早い段階で取り除いていく視点をもつことが、大きな事故を防ぐために大切になります。
ヒヤリハットが起こる原因とは?
ヒヤリハットをなくしていくためには、その原因がどこにあるのかを考えることが必要です。原因を見つけることで、再発防止のための改善もしやすくなるでしょう。
再発防止のためには、PDCAサイクルの考え方が必要です。
Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Action(改善)→Planに戻る |
ヒヤリハットに対する対策を計画して実行し、再び検証していくというサイクルを作ることで、ヒヤリハットをなくしていくことができるのです。
では、ヒヤリハットの原因はどのように見つければよいのでしょうか。ここではヒヤリハットが起こり得る原因について、3つの視点から見てみましょう。
利用者さん自身の原因
利用者さん自身の身体状況が原因となる場合は少なくありません。たとえば、麻痺があるために自力歩行が不安定という状況があれば、それが転倒の原因となることが考えられるでしょう。内服している薬が、めまいやふらつきを引き起こしている可能性もあるかもしれません。あるいは、認知機能の低下によって危険を察知する力が衰えている可能性もあります。
そして原因はひとつとは限らず、いくつかの要因がからみ合っていることもあるため、さまざまなことを整理して考えることが大切です。要因が多ければ多いほど悪い循環が起きてしまい、事故の発生リスクが高まります。利用者さんのその日の体調や気分、生活習慣や嗜好などを、日頃からしっかり観察して把握しておくようにしましょう。
介護する側の原因
利用者さんではなく、介護するスタッフ側に事故の原因がある場合もあります。たとえば申し送りが正しく伝わっていなかったり、スタッフ本人が体調不良だったりすることで、適切な介助ができなかったというケースもあります。
人間は誰でも、忙しいときや体調の悪いときに集中力が低下することはよくあります。仕事が忙しくて介護ストレスが高まっている場合もあるでしょう。そんなときには判断力が低下しているかもしれません。
この場合に注意してほしいのは、あくまでも原因を考えることが目的だということです。したがってヒヤリハットの事象があったとしても、そのスタッフ個人を責めることがあってはいけません。もちろん原因となる部分はきちんと改善すべきですが、個人の問題ではなく職場全体の問題として考えることが大切です。
介護する環境の原因
ベッドや車椅子などの福祉用具、玄関や風呂場の段差など、利用者さんを取りまく環境に原因がある場合もあります。ベッドの高さやフットレストの位置が適正ではなかったり、段差などの障害物があったりすると、ヒヤリハットが起こる可能性が増します。
身体の状態に合わせたはずの福祉用具でも、体調によって合わなくなっていることも考えられます。改めて点検してみるよい機会かもしれません。また、福祉用具は本来の目的以外の使い方をすると、事故につながりやすいので注意しましょう。
室内の配置も重要です。動線をさまたげる配置になっていないかどうかを見直してみるとよいでしょう。段差や突起物など、介護施設の構造上どうしようもないものについては、ヒヤリハットの起こりやすい場所としてスタッフ全員で共有することが大切です。場合によっては、張り紙などで利用者さんを含めて注意喚起をするとよいかもしれません。
ヒヤリハットに注意し、未然に事故を防ぐには
ヒヤリハットが起きてしまった場合、それを振り返って改善し、大きな介護事故につながらないように見直すことがもっとも重要です。事故を未然に防ぐために、どのようにヒヤリハットの事例を活かすのかを見てみましょう。
ヒヤリハット報告書を作成する
もっとも効果的なのは、ヒヤリハットの事例を書類に残すことです。どのような場面でヒヤリハットが発生するのかを振り返ることで、事前に危険を回避するような行動をうながすことができます。
上でも述べたとおり、重大な事故の陰にはたくさんのヒヤリハットがあるものです。ヒヤリハットの一つひとつをしっかり見直し、危険な要素を取り除いていくことが大切です。これはひとりの力でできることではありません。スタッフ全員が同じ意識で職場環境を見直すことで、ヒヤリハットを減らすことができるといえるでしょう。
ヒヤリハットの事例を共有し、検証する
ヒヤリハット報告書を作成したならば、定期的にその事例をスタッフ全員で共有する場をもうけましょう。研修やミーティングなどスタッフが集まる機会にその時間を確保し、再発防止のための意見交換をおこなうとよいでしょう。
その中で出た意見を実践し、その後どのように変化したかを再検討することも大切です。もしかすると新たな危険のタネが見つかるかもしれません。そのときには再びスタッフ間で対策を検討していきます。これがPDCAサイクルの流れとなるのです。
また、ヒヤリハット事例集を作成し、新人教育などに活用することもおすすめです。
ヒヤリハットの報告書の書き方、基本的なルールとコツ
ヒヤリハット報告書には、実のところ決まった書式がありません。事業所の実態に合わせて独自に定めてよいことになっています。とはいえ再発防止の検討をするためには、事実関係がきちんと書かれていなければ意味がありません。何が起きてどうなったのか、ヒヤリハットの事例を正確に伝えるために、記載するべき内容には一定のルールがあります。
一般的なヒヤリハット報告書の書式を見てみましょう。
ダウンロードはこちらから(Excelファイル)
出典:一般社団法人シルバーサービス振興会「介護事業所・施設の記録の様式例」
書式を見るとわかるとおり、前半には「いつ、どこで、誰が、どうなった」という事実を記載するようになっています。そして後半で「どうして」という原因に触れていきます。このようにヒヤリハット報告書は「5W1H」を基本として書くのが一般的です。
伝わりやすいヒヤリハット報告書の書き方にはコツがあります。専門用語や略語を使用しないようにしたり、私情をまじえずに客観的に書いたりするとよいでしょう。
ヒヤリハット報告書の書き方のコツについては、別記事でも詳しく紹介していますので参考にしてみてください。
介護現場でよくあるヒヤリハットの事例と対策
では、実際の介護現場ではどのようなヒヤリハットが起きているのでしょうか。ここでは実際に起きたヒヤリハットの事例集から、介護現場でよく見られるヒヤリハットを紹介し、その対策についてお伝えします。
入浴中の事例と対策
内容 | 歩行が安定している利用者さんが、入浴中に浴室内で滑って転倒しそうになった。隣には洗身中の利用者さんがおり、床にはシャンプーの泡が広がっていた。 |
要因 | 利用者さんの要因:危険認知 介護者の要因:思い込み、危険察知 環境の要因:設備不十分 |
対策 | ・歩行が安定している利用者さんであっても、浴室内の歩行には注意が必要であることをスタッフが再度認識し、利用者さん本人にも声かけをおこなう ・浴室内の床に泡が残ると滑りやすいので、周辺をシャワーでよく流す・浴室の床に滑り止めの工夫を検討する |
普段見守りの必要がない利用者さんが入浴しているとき、「いつも大丈夫な人だから、今も大丈夫だろう」という思い込みはとても危険です。浴室内はシャンプーや石けんの泡で滑りやすく、全裸で皮膚を保護するものが何もないため、転倒すると大きな事故につながる可能性があります。
移動中の事例と対策
内容 | 外出先からヘルパーと車椅子で帰宅。玄関ホールにていつものように人形に触ろうと利用者さんが立ち上がったとき、ふらついて転倒しそうになった。とっさにヘルパーが支えたが、近くにあった置物を落として破損。本人の反応が鈍く、顔面にひきつけが見られたので、病院受診をすすめて家族に対応してもらった。 |
要因 | 利用者さんの要因:こだわりや習慣、体調不良 |
対策 | ・いつもの行動であっても、車椅子から立ち上がる際には「もしかしたら〇〇するかもしれない」という予測をしながら、常に対応できるように身構えておく ・スタッフ間で事例として紹介し、ほかの利用者さんでも起こりうることとして共有した・万が一に備え、個別の緊急時対応マニュアルを作成して共有した |
普段と同じ行動であっても、常に何が起こるかわからないという意識を持つことが重要です。スタッフ間の共有や緊急時対応マニュアルの作成も、事故防止のためには効果的な対策だと思われます。また、ほかの利用者さんでも起こりうると考えることは、スタッフの注意力を高めるためにも大切なことでしょう。
食事中の事例と対策
内容 | 土曜日の昼食時間帯に、利用者さんがひとりで食事をとっているのを確認する。過去に窒息事故があったため、食事の際に見守りをおこなうと統一していたが、休日の営業日というイレギュラーな状況で役割分担があいまいになっていた。 |
要因 | 介護者の要因:手順の不履行 |
対策 | ・改めて利用者さんの食事支援体制をスタッフ間で周知する ・担当職員を決め、離れる場合は引継ぎを確実におこない、責任所在をはっきりとさせておく |
日常では実施できていることでも、ほんの少し状況が変化しただけで対応が変わってきます。事故はこのような場面で起きやすいため注意が必要です。普段と違うパターンがあったとしてもそこに対応していけるように、スタッフ間で協力していくようにしましょう。
ヒヤリハットを活用して介護現場のリスクマネジメントを
ヒヤリハットが起きてしまったならば、すみやかにヒヤリハット報告書を作成してスタッフ間で共有することが大切です。それをもとにヒヤリハット検討会をおこない、スタッフから意見を集めていくことが望ましいでしょう。さまざまな事例を重ねていくことで、事故の起こりにくい環境に近付いていけます。
一番大切なことは、ヒヤリハット報告書は「数が多ければ多いほど事故防止に近付く」ということです。事故にまでは至らないものの、危険因子は職場のあちこちに存在するはずです。その危険の芽を一つひとつ摘んでいくことが、事故を減らす一番の近道といえます。スタッフ全員が「身近にヒヤリハットになりえる状況はないかな?」と職場内の環境を見渡していく意識を持つのが理想でしょう。
介護において事故の発生は、非常に大きなリスクでもあります。物が壊れたりケガを負ったり、場合によっては生命の危険にさらされる可能性もあるのです。利用者さんだけではなく、スタッフの生命を守るためにも事故をなくしていく働きかけが大切です。そのためヒヤリハットの活用は、介護現場において最大のリスクマネジメントといえるでしょう。